競書誌「泰斗」

ー「泰斗」とはー

人の仰ぎ尊ぶ泰山と北斗星。学問・芸術などの最高権威者にたとえる。泰書會における高い理想の姿、それに立ち向かう志を持つことを願ってこの名称をつけました。


「泰斗」巻頭言                泰書會会長 柳田泰山

   《 墨を磨るということ 》

 学生の頃、先代に「この硯で、この墨を磨っておけ…」と頻繁に言われた。学生時代は、学校から帰ったら、先ず仕事の手伝いから始まる。確か、あまり自分の時間というものは無かった気がした。それこそ、先代の目を盗んで、遊んだ記憶しかない。どこかに出掛けるのも、と許しを請うたものであった。何らかの理由がはっきりして出掛ける時の嬉しさは格別であった。話が脱線してしまった。要は学生時代も「書」に明け暮れていたのである。端から見れば「それは良かったではないか…いい勉強であったろう…」等々、人ごとの様に思っている筈である。
 「墨磨り」はとても辛いものがある。世間では「お稽古をする前、心静に墨を磨って、気を落ち着かせ、落ち着いた所でを書き始める」と言われているが、現実はそうではない。週刊誌よりやや大きめな硯に、ひどい時は円形の墨を磨る時もあった。一度、かなり疲れてたのか、ごまかして墨汁を混ぜて磨った。その時は、先代にばれてしまい、こっぴどく叱られた時もあった。「墨を磨って、心落ち着かせるなんてあり得ない。明日まで磨りあげなければならない」とても辛いものがあった。精神統一して墨を磨ることは不可能とさえ思っていた。
 しかし、この十数年は墨の磨る姿勢が変わってきた。今では、自身が半紙、半折などのお稽古用手本も含め、必ず、書く前に一時間以上は墨を磨ってから筆を持つ。墨を磨らず、から筆を持つ事は無くなった。ただ、それが果たして「精神統一に?がるか…心落ち着かせる為に磨るのか」とは違う気がする。きっとどこかに、筆、墨、硯、紙に対する敬意があるのではなかろうかという気がする。では、墨汁でも、ナイロンの筆、セラミックの硯、パルプ用紙でも、気持ちさえ確りすれば、確りしたものが書けるのではなかろうかと思われてしまう。果たしてそうであろうか。
 現代はデジタルが主流でアナログは少なくなってしまった。機械的表現はあっても、人間の感情的表現が少なくなってきた。ましてや道具が機械的であれば仕方がないかも知れない。
 今、その仕方がない事に刃向かっているのも事実である。今夜も墨を磨りながら、先代、先人に敬意を表したい。



月例半紙課題(結構解説手本)

初級者向け手本


月例半紙課題(四文字手本)

中級者向け手本



月例半紙課題(五文字手本)

上級者向け手本



半折課題(年三回)

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